LONG LONG AGO
昔昔その昔、京の都に五位鷺とも貧乏公家とも言われた藤原氏の傍流のまた傍流の公家。名前を"廣瀬弾正忠藤原家胤"と言う男有りけり。足利将軍の室町時代。将軍の後継争いで細川勝元と山名宗全の戦いが勃発。末法時代言われる位混沌とした応仁の時代(1467年)のことでだった。この騒乱は向後150年続く所謂戦国時代の幕開けでもともなった。
この"家胤"応仁・文明の兵乱に負け都落ちし飛州間下郡の益田神社の社主方に身を隠すのであった。数年を経ても都に戻る機会もなく、已む無く美濃地方揖斐郡に移る。そして弘仁3年、最澄法師が開山した天台宗の天上寺住職空善法印の許に身を寄せる。さてさて帰る事能わず、利害の絡む浮き世を捨てて住職となり"空道法印"と名乗る。一緒に都落ちした息子の一人"助太夫"はこの父の後を襲い"空珍"と言い、現在は岐阜県揖斐郡揖斐川町坊島の浄土真宗"上善明寺として隆盛を誇っている。もう一人"助之進"は鍬を持つ身となり我が家の先祖の嚆矢となるの有る。
そして550年の時を経た昨日2016年6月29日、現在の住職"寿宣"師(76)と坊守ご夫婦が遊びに来られました。先代の住職ご夫婦が来られてから55年の時が過ぎていました。
投宿予定の北海道ホテルで昼食の後、我家に来ていただき、牛舎を覗き、ジェラートを食べ、夜遅くまで語り合っていただきました。
100年前までの檀那寺であり550年前の本家でも有る住職ご夫婦と言うことで、挨拶ももどかしく早々に仏壇を前にして読経していただきました。
寿宣師です。
画面右から父(89歳)隣が善明寺坊守、左奥は母(86歳)。
感動と共に住職の後を次いで読経の合唱。
550年の時を隔てた本家分家であり、大正7年の渡道以前の檀那寺の住職の読経。この上ない喜びに溢れ、なんともありがたい風景です。