厳寒の記憶
私の3歳下に妹が出来その5年後に次妹が生まれました。その頃両親は畑作農家の中で酪農も導入し、早朝から夜遅くまで働いていました。その次妹が生まれた頃、私は親離れを強制され夜は曾祖母の「はつばあちゃん」と一緒に寝ることを余儀なくされました。
隠居所(と言っても陋屋で土壁や窓の隙間から風や雪が吹き込むような建物)で、はつばあちゃんと一つ布団で寝起きしていました。"はつばあちゃん"は、夏の風は太っていて窓を全開しても入ってこないけど、冬の風は痩せているから隙間からでもいくらでも入って来る!って、笑い飛ばしていたっけ!! 又、静寂さも"シンシン"と言う音が聞こえてきそうなくらいでした。自衛隊第五師団の消灯ラッパや起床ラッパの音、西帯広駅を通過する蒸気機関車の汽笛や出発時の力強い"シュッ!シュッッ!シュッッ!"と言う音が聞こえていたっけ。そんな中、曾祖母のはつばあちゃんの懐に抱かれて寝ていた冬のある早朝の事です。まだまだ夜が開けきらない中、時折"パーーン!"と乾いたような破裂音が響き渡ることがありました。凍裂です。
中央のシラカバを見てください。幹に沿ってまっすぐに裂け目が見えます。これが凍裂です。この凍裂はシラカバやトドマツに多いようで、氷点下25度以下の気温になると木の中の水分が凍って膨張し裂けるようです。
昔は氷点下25度はあたりまえで年に数度は氷点下30度を記録していましたが、最近では氷点下20度以下を何度か記録するくらいで、凍裂を起した木を見るなんて稀でしたが・・・、少し驚きでした。
この凍裂を見て、世俗に汚れきった今の自分と純真無垢なあの頃とのギャップを思い知るのでした。