大日本帝国陸軍遺産Ⅰ
住所で言うと帯広市西22条南5丁目。と言ってもピンと来る人は殆どゼロだと思いますが・・今を去る事75年前の第二次世界大戦が始まる前後、日本陸軍航空隊熊部隊の飛行場が(現在の自衛隊第5旅団のある位置)敵機に空襲されることを懸念して、弾薬等を分散保管していたそうです。
しかも空から見えにくい場所に保管したそうです。その現場に通じる道路が次の写真です。
70年近くを経て道路であった所にもご覧の通り大きな木が生い茂っていますが、今でも落ち葉を掻き分けてみると砂利を敷いた立派な(?)道路が確認できます。帯広川の河岸段丘になっているこの裾野に沿って道路を取り付け、奥まった所の崖に横穴を掘り武器、弾薬を保管していたそうです。その横穴は敗戦時爆破され裾野がえぐれたかんじで窪んでいました。高台は畑、下台は水田ですが、その狭間の傾斜地は自然の林の儘で空からは見えにくいその部分に道路を付けたようです。
長い年月を経て木や笹に覆われて写真では分かりにくいんですが、画面の端から迫ってきている高台の裾野を削り道路を開削したものです。
日本が世界を相手に世界大戦を戦ったことすら知らない世代が増えてきている今、軍都帯広の軍事遺産を記憶にとどめてほしいと思います。
この場所は今は帯広市の所有する帯広の森として整備されていて、その中を縦横に散歩用やジョギングの為の道を取り付けています。22条5丁目の部分は今後整備する予定のようなので、その軍用道路を再生整備して利活用と保存をしてほしいものです。
なんとも分かりにくいのですが・・・・
今度は遺産Ⅱとして掩体壕をアップしてみます。請う、ご期待を!