3.11
東日本大震災が起きてから今日で5年目を向かえると言う事で、ここ数日は震災後の復興の進捗状況や津波は天災だけれど人命の被害は人災では、と言った検証についての放送番組が相次いでいます。
今日の内容とはかかわりのない写真ですが、これは襟裳岬です。今日は海の話題と言う事で、イメージ写真です。
十勝・帯広は内陸の地方なので、帯広から100キロほど南に位置する襟裳岬に行くこともちょっとしたドライブ気分を掻き立ててくれる場所です。バイク通学をしていた高校3年(17歳)の初夏(土曜の午後家にも帰らず、親にも内緒で・・)、友達のバイクの2台で襟裳岬に初めて自力で行きました。山と川しか見たことのない少年にとって、ズーット沖まで続く岩礁、奇岩に目を見張ったものでした。岩礁の近くまで降りて行くと繰り返し押し寄せる力強い波の音が心に心地よく入ってきたことを思い出します。
黄金道路の途中ところどころに、崖にへばりつくように漁師の集落があり時には、昆布が干してあったりと、海を糧に生活を営んでいる事に驚きながら岬を目指しました。規模は比ぶべきもありませんが、こんな所に5年前のような津波が押し寄せてきたら、一瞬にして根こそぎ生活のみならず命まで奪われてしまうんですね。
三陸地方は1000年以上に亘って何度も大津波を経験し、それぞれの年代に起きた大津波の際、津波の到達した位置を知らせる石碑が高台の中腹にいくつも建てられているようでした。そういった過去の悲惨な経験を後世に伝える石碑があったにも係わらず、今回のような大きく悲惨な被害が出てしまいました。後智恵で物を言いますが、少なくても職住分離をするとか常日頃避難訓練をしておくとか出来なかったのでしょうか?
翻って小さな話ですが、我が家は北海道に移住し百姓を続けて四代、ほぼ100年になります。それぞれの代には25年とか30年の百姓と言う苦労や経験を積みつつ次世代にバトンを渡して来ましたが、なかなかバトンが上手く渡せないと言うか受け取ってもらえないと言うか、オレが!!と言う自意識が強く世代交代のたびにギクシャクしてしまいます。
なかなか先代の苦労して得た経験は伝わらないものです。