大丈夫?
今朝の道新にこんな記事が載っていました。またまた2020年東京オリンピックにまつわるニュースでした。
昨年来新国立競技場の設計に杜撰な予算!エンブレムでは盗作疑惑!でそれぞれ公募のし直しをしました。その際オリンピック担当省、オリンピック組織委員会、日本スポーツ連盟などなどの責任のなすり合いで国際的に大恥をかいた東京オリンピック。ようやく下火になったと思いきや、今度はメインスタジアムに聖火台置き場が考慮されていなかったと言った問題が浮上して来ました。それは上屋が木造建設になっておりその下に大きな炎の出る聖火台は設置できない事が分かったと言う事です。
遠藤オリンピック担当大臣は前回の公募の際に聖火台の設置については決められていると思っていた・・・。つまり今後話し合われる問題と思っていたと釈明!それぞれの組織委員会も、聖火台は今後の話だろうとなどと、特に問題視していなかったようです。
昔私が少年から青年になる頃(はるか昔の事です)、クレイジーキャッツと言うコミックバンドが活躍していた頃、メンバーの植木等がスーダラ節とか無責任一代男、などを流行らせていました。当時は高度成長時代で「もう戦後ではない」というフレーズが新聞などで踊り始めていた時代です。サラリーマンは終身雇用制が当たり前で三割がモーレツ社員、次の四割がそこそこ稼いで、残りの三割が働かないと言うそんな世相を反映して映画でも「無責任男シリーズ」が大流行でした。当時純真な少年だった(過去形)頃、会社とはそんな事で回って行くんだ、儲かるんだなぁ!我が家は百性なのでオレや妹のような子供まで土日、春、夏休みになると休みなくこき使われるんだ!?百性なんてしょぼくれたお先真っ暗な職業なんだと思い込み、なかなか胸を張って世間様にオレは百性だ!などと言えたものでは有りませんでした。特に牛飼いは"3K"などと言われ敬遠される職業の最たるものでした。
50年近くを経て経済の低成長とか大企業のM&Aとか倒産など日常茶飯のように起こる現在、無責任と言う言葉にユーモアを感じられません。と言うより国を動かすような立場の人で有るだけに憤りすら感じます。政務調査費を横領したり、虎の威を借りて大臣秘書が献金を勝手に使ったり、はたまた男性も必要だと育休宣言をした直後に浮気がばれて辞任に追い込まれた国会議員がいたり、もう枚挙に暇がないくらいです。
いつからこんなに無責任社会になってしまったんでしょうか日本は?!そしてこれから日本は何処へ向かうのでしょうか?!
昭和初期の軍部の独走を追認してばかりの政府があり、とうとうアメリカとの戦争にまで突き進んでしまった時代がありました。「誰かがやるだろう」的なのは日本人の特性なのでしょうか!