あれは昭和42年・・・・
降る雪や 昭和は遠く なりにけり
中村草田男の句をもじって見ました。
私が帯広農業高校の酪農科を受験してからもう50年近く前になります。その年は2月頃まで畑の黒い土が見えていました。
受験当日帯広農業高校前でバスを降り、目の前に校門はあるのに鬱蒼とした樹林に囲まれ本当にこの奥に校舎があるのか心配になったほどでした。
そして受験会場へ入ると学生服を着たあまたの成績優秀(後刻それほどでもない事に気付くのであるが・・)そうな中坊が指定された席に付いて神妙な顔つきでそのときを待っているでは有りませんか。
指定された席に着くと、隣に同じ学校から3人ほど受験に来ていたグループの一人(いがぐり頭で黒縁めがね)から「おれ達は上士幌中から来た。お前は?」と聞いてくるので{俺は二中」と答える。
「帯広市内か?でも一中、三中、四中・・・と言うのは聞いた事は有るけど二中なんて聞いた事もないしだいたいそんな中学校あったのか?」
「口の悪いヤツダな!と思いつつ、一中、三中が有って順番に行ったら二中が無い方が不思議だろ・・・(全く何言ってるんだ!)」奴とはそんな出会いから始まりました。
入学式当日には受験日にはお互いため口を聞いたもの同士、すっかり打ち解けてその日から仲良くなったものでした。
卒業後は道央のブリーダーと言われる牧場にそれぞれ実習に入り奴は1年半後にはアメリカウイスコンシン州のサニーサイド牧場というところで更に一年半牛飼いの技術を身に着け、意気揚々と自分の牧場に帰ってきました。
私はと言えば、同じ夢は叶わず、11月~3月までの5ヶ月間の集中講義を受け、4月~10月までは自分の牧場で実践・・これを3年過ごす事で短大卒の資格を取ったのでした。
そして出会ってから半世紀、奴は自分の牧場を年間出荷乳量20、000トンの北海道一に育て上げました。
次なる目標は30、000トンだそうです。つまり日本一の牧場になると言う事です。
奴ならきっとやるでしょう。楽しみです!!
斯く言う私だって食育である酪農教育ファームや農業の六次産業化の嚆矢として、とりあえず全国に名を轟かしているのですよ(かな???)
奴をはじめ友人、知人の活躍をニュースなどで見るとわが事の様に嬉しく、胸が踊るものですね!
昨日も書きましたが今年は目指せ入院0日!!、目指せ国内旅行!!です。