酪農の一こま
我が家の酪農は父博昭(88歳)が昭和23年10月5日に、生後10ヶ月のホルスタインの若牛を導入した所から始まります。
一頭の子牛がはじめて我が家に来たと言う事で、父の弟妹も無邪気に可愛がり人にすごく慣れていて、道端の草を食べながら500mくらい離れていても
呼ぶと、尻尾をピンと跳ね上げてすっ飛んできたそうです(手を掛ければかける程、人に慣れるんですね・・今だと150頭の牛がいて長男夫婦で一日8~9時間牛舎仕事をしていますが、
8時間×60分=480分×2人=960分÷150頭=6,4分/1頭当たりの触れ合いでは、言う事を聞かない牛がいても不思議ではないですね・・)。
そして翌々年昭和25年8月17日に牛乳初出荷を果たし現在に至っています。
初出荷は家族みんなで牛乳を吞んで、輸送缶に入った3~4升の牛乳を
後輪の両サイドに荷物を付けられる頑丈な運搬専用の自転車を購入し、その自転車で大汗をかきながら雪印乳業に運んだのが始まりです。
そして冬には馬橇で毎日工場に搬入するそんな日々の連続だったそうです。
その日以来我が家では三食の食事後はお茶ではなく牛乳を吞むのが習慣です。
おかげで我が家は全員骨密度が高くたいていの事では骨折はしません(但し、子育てでは骨を折り、脛も瘦せ細ってしまいましたが・・・?)。
現在86歳になる母は、70歳代の時に骨密度を測ったら20歳代の骨だと判定されました。
又、ウエモンズハートの店長(家内)は母親が70歳代の時に骨粗しょう症に成り現在も寝たきりです。
それで家内も55歳頃、骨密度が150%を越えていて全く問題ないというか、普通に食事をしていても後30年は充分健康な骨を維持できます。と言う医者のお墨付きを頂いています。
写真は当時を再現したモニュメントですが(馬橇は勿論牛ではなく馬が引き、御者はパンダではなく人間ですが、誤解なきよう・・・)冬は馬橇、輸送缶の数が増えると夏は馬車で運ぶ、そんな時代でした。
冬ならいざ知らず、春耕の時期が始まると猫の手も借りたくなるほど忙しくなるのに、牛乳の出荷に午前の時間が取られて農作業も出来ないので父親(祖父の種治)は
「たいした金にもならないのにいい若い者が毎日毎日遊んで歩いて(牛乳の出荷の事)百性仕事も出来ない・・・・そんな道楽のような牛飼いなら止めてしまえ!」と堪忍袋の緒が切れてしまったそうです。
「牛飼いを辞めるくらいなら、この牛を連れて家を出てやる!!」
そんなやり取りから始まった酪農です。もう67年になります。
そんな父親の思いで始まった酪農ですが、広瀬牧場ではその牧場の魅力を最大限に発揮し平成3年(1991)からは酪農教育ファーム活動をはじめ
(年間2、500人~3、000人が体験に来ています)、さらには平成11年(1999)には自牧場の牛乳を使ってジェラートショップをオープンし現在は年間(3~12月の10ヶ月で85、000人の人々がジェラートを食べにご来店くださいます。
先日、年間20、000t牛乳を出荷した友人を紹介しました。しかし、私には規模拡大は無理でしたが、10年目に政府が制定した食育の推進や今の六次産業化の嚆矢として挑戦してこれたと言う事は、酪農ならではの事と思います。
若い頃は「親の意地っ張りが子に祟り・・・」なんて、牛飼いの長男に生まれたことを不遇なことと思っていた時期もありましたが・・・・